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高齢化率約90%の集落でみた希望

 山間地域で見た「死にゆく集落」ー私が政治を志した原点

 私が政治家を志すきっかけの一つに、警察官時代の山間地域での経験がある。(本記事中の角石畝地域の話ではありませんが、多くの山間地域で発生している現状です。)

 山間地域では独居高齢者も多く、孤独死事案も少なくない。

 特に冬場は孤独死事案が多く、入電を受けて現場臨場すると、お風呂上りのヒートショックで浴室付近で裸のまま倒れ亡くなったであろう高齢者が多かった。

 時には発見が遅れ、腐敗が進んだ状態で見つかることもある。

 そうした現場に臨場し、室内に残る家族の団らんがあった形跡や壁に並んだご先祖様のご遺影を見て、かつてここで暮らした人々は、将来この家に明かりが灯らず、守ってきた田畑が自然に返る姿など想像もしていなかったのではないかと考えてしまう。

 空き家になった家には、どこからともなく泥棒が入り、家財や金属類を盗んでいく。

 時折、家の様子を見に来る親族が、窓や蔵の戸の破損を見つけて通報してくるが、現場臨場し、事情聴取しても何が盗まれたのか分からない場合も多い。

 また当時、木材価格が高騰した時期があり、空き家付近の森林から勝手に木を伐採して盗み出す事案もあった。

 これも親族が家の様子を見に来た際、気が付いて通報してくる。

 おそらくその木は、その親族の祖父母か曾祖父母が未来の家族のために植えたものだろう。

 自分たちがしてもらったように、次の世代に残そうとしたのだろう。

 しかし、伐採の頃合いには、家は空き家となり、田畑は自然に返り、木は盗まれてしまうなど、植林した当時には、想像もしていなかったのではないだろうか。

 また先の大戦時には、こうした地域からも若者が出征していた。

 お国のためにと命を懸けた若者たちは、自分のふるさとが将来こうした姿になるとは夢にも思わなかったはずだ。

 犯罪抑止活動として山間地域を巡回していた際、崩れた家や草木に覆われた田畑をみて、集落が死んでいくように感じ、悲しい気持ちになったのを覚えている。

 木が枯れるとき、葉から落ちていくように、集落が消えていくことが、日本という木が枯れているのではないかと感じた。

 孤独死の現場対応や窃盗犯の摘発といった表面的な対応は警察で可能だが、本質的な解決はできない。

 なんとかできないか、もどかしさと無力感を感じたことが政治家を志すきっかけの一つだ。

 

 岡山市北区角石畝地区を訪ねて

 そうした思いから岡山市の限界集落の状況を調べてみた。

 令和2年の国勢調査によると岡山市で最も高齢化が進んでいるのは、岡山市北区角石畝の87%。総人口23人のうち、0歳~44歳までの住人はおらず、最も多い年齢層が85~89歳で7人となっている。

 調査から4年がたち、さらに深刻化しているかもしれない。

 統計資料を見る限りでは、今後の存続が危機的状況だと感じる。

 角石畝に向かった。

 角石畝は、岡山市の最北部にあり、その北側は久米郡美咲町角石祖母となっている。

赤点線枠が角石畝地区
赤点線枠が角石畝地区

 かつて角石畝は、美作国久米郡加美郷であり、その後、角石村(現 美咲町角石祖母、岡山市北区角石畝、岡山市北区角石谷)、鶴田村、福渡町、建部町となり、現在は岡山市になっている。

 名前の由来には諸説あり、その昔近くの高倉山で採れた水晶の「角ばった石」からきた説や、田畑を開墾する際、とがった石が多くあったので角石となった説があるそうだ。

 古代については、発掘調査がされていないため、詳細不明であるものの、道路の拡張工事等で弥生土器が出土しているため、少なくとも約1700年の歴史を持つ地域になる。

 墓をみると五輪塔とよばれる古いお墓も多い。

 特に鎌倉時代に流行った墓石らしく、城があり繁栄していた時代もあるらしい。

 また伝承では、源平合戦で敗れた平家の一部が住み着いたとのことであり、実際に平性も多いとのこと。

 (※これらは、書籍(建部町史)や住民のお話をまとめたものです。)

 

 自然に返る棚田、しかし希望の光も

 角石畝に向かう途中、道路上に土嚢がおかれている箇所がある。

 地元の人に聞くと落石があり、役場が土嚢で囲む対応をしたまま、2年ほど経過するとのこと。

 山間地域に対する行政の関心の薄さを感じてしまう。

 角石畝は、空気が澄み、自然豊かで空が近く、とても気持ちが良い場所である。

 ただ、棚田の多くは耕作放棄されており、自然に返っている。

 かつてはこの写真で見える範囲いっぱいに棚田が広がっていた。

 国土地理院の航空写真をみると、棚田が消えて緑で覆われていく様子が一目でわかる。

 上段の写真が1974~1978の間に撮影された航空写真。

 下段の写真が2018~2019の間に撮影された航空写真。

 (出典:国土地理院地図)

 かつての住人の子や孫も、ご先祖様から受け継いだ土地を放置したくて放置しているのではないという心苦しさが思い浮かぶ。

 そんな中、角石畝で出会った農家の姿から、希望の光が見えた。


 限界集落にある建部町最大級のブドウ農園

 その方は、主にブドウ栽培をされていて、その規模は建部町最大級を誇り、ふるさと納税の返礼品としても出荷しており、岡山市に税収をもたらしている。

 私が勝手に想像していた限界集落の悲壮さというのは全く感じられず、前向きで明るい。

 やり手の経営者といった印象を受ける。

 定年退職後からブドウ栽培を始めたそうだ。

 ここでの生活は悪くないという。

 人は少ないため町内のことはすぐに決まるし、街中の煩わしさもないためだそうだ。

 テレビの電波は入らないが、携帯電話は基地局が近くに3か所くらいあり、全く問題ないとのことであった。

 実際にブドウ畑を見せてもらった。

 ブドウ畑は、小動物用の網、鳥用の網、イノシシ用の柵の三重に守られており、相当な費用と手間がかかっていることが分かる。

 「商売ができん人は農業をしちゃあおえん。」と語るその表情からは、自信と誇りが感じられる。

 この時期は、小さな房を2つだけ残して、残りを切り落とす作業をしているという。

 また、さらに新しいブドウ畑を整備しているという。

 「ただブドウの苗を植えても…本格的に収穫できるのは7年後、その時にわしがまだ続けられとるじゃろうか。継いでくれる人がおるわけじゃないし、悩みどころじゃ。」

 そう話す表情に少し寂しさが垣間見える。


 今こそ最後の機会ではないか

 この方のように、限界集落でも前向きに生きる人がいる。

 地域を存続し、岡山市にもふるさと納税の返礼品で税収をもたらしている。

 高齢化率が約90%の集落でもまだ希望がある。

 こうした希望が消える前に手を打たなければならないのではないか。

 本当に最後の機会に直面していると感じた。


 

 

 



 


 
 
 

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